突然ですが


売りに出していた実家の売却が決まりました。

この不況下、交通の便の良い立地のマンションは売れても、
住宅街の一軒家というのは動きが悪いらしい。

しかも、札幌の実家の地域は軒並み地価の下落が著しく
どんなに良い家でも、中古となると上物の価値は予想以上に下がります。

不動産屋さんの査定価格を聞いた母はショックを受けてました

でも
売り出した時期がすでに秋で心配しましたが、
冬を前にした坂道のある地域の住宅が年内に売れたというのはラッキーだったと思います。

しかも母がすでに家を離れてマンションを買って住んでいますから(70歳を過ぎて組めるローンは当然なく・・・・
家が売れないと実際キビシいものがありました

相手の方と契約を結び(良い感じの若いご夫婦でした
先日札幌に出向き最後のお片付け・・・・
業者さんに来てもらって行く当てのない家具や不用品を処分してもらいました。

親戚にあげたり、持ち帰ったりとずいぶん整理をしたつもりでしたが

・・・相当ありました

もったいないものもたくさんありましたが、フリーマーケットを開くゆとりもありません。リサイクル店で喜ばれたのは、父の膨大な量の書籍くらいなものでした。


私が結婚後に両親が建てた家

転勤族だった両親は、ここを終の棲家にするつもりだったのでしょう。

脳に損傷ができてしまった母が暮らすにはリスクが多すぎて、それも叶わず、
かといって、今のマンションに母が一人で住めるのもあと何年かでしょう。



振り返ってみれば、母は一所に落ち着いて暮らした事のない人でした。


生まれは祖父母が結婚した長沼町
まもなく東京で腕を磨いた祖父が、札幌の現在のPARCOの辺りに
洋裁店を開きます。
戦争に入り、小学校の頃は(奇遇な事に)今私の住んでいる滝川市の東滝川に疎開。
戦後札幌に帰るも、以前住んでいた洋裁店は賃貸で貸していた方に所有権利がついてしまったとかで、南9条に住居を移します。

ここは私も幼い頃、よく遊びに行きました。
洋裁店と住居と3〜4人の下宿部屋が一緒になった家で、いつも色々な人が行き来していていました。

小学校さえろくに卒業できなかった祖父でしたが、仕事の腕はピカイチで、彼の作る背広は非常に高価だったのに評判が良かったらしく、お金持ちのお客様が多かったようです。
時々顔を出していた、笑顔のお話の上手で気さくな紳士が、(過去のあらゆる出来事を全て年号で暗記しているスーパー記憶力のおじさんでした)
実は雪印乳業の社長さんだったというのは祖父が亡くなり、葬儀委員長を買って出てくださるまで私が知らなかった事実です。

あの家では職業も地位も生まれも関係なかったのでしょう。
様々な人が集まってはワイワイ楽しそうにしていた記憶が残っています。

母は結婚して、その洋裁店と5丁ばかりしか離れていない、父の実家に入ります。
私が小学校に入学してからが転勤に次ぐ転勤・・・・
社宅めぐりが始まります。
私自身も小学校だけで4回、転校しました。

しかし、さすがに私が高校に入ってからの転校はかわいそうだと思ったのか、安いマンションを購入(当時は単身赴任の家族に社宅はあたりませんでした。)父は単身赴任、母は働き始めたのでした。

その3年後、もう少し広いマンションに買い替え


はい・・・・ここまでで、母はすでに12回ほど住居を変えているわけでして・・・


13番目の家・・・がやっと落ち着いて住むはずだったわけです。


「もう見納めになるかもしれないから、一緒に行かないかい?」
家を片付けに行く時、そう母を誘いました。

「いや、いいわ〜」  あっさりと言う母。

住んでいない私の方がセンチになっているみたい・・


そもそも母はボヘミアン。
ひとところにいられない人なのかもしれません。